国会での議論は、森友学園問題一色って感じですね。
森友学園問題は重要な問題なのかも知れないけど、ソレばっかり延々とやってるってのは、どうなの? 良いの? 他にもいっぱい話し合わなければならないコトがあるんじゃないの?・・・って思ってます。
このブログは、「働き方改革」を応援するブログですから、ナニか動きがあれば取り上げようと思っているのですが、最近は話題が少ないです。
そこで今回は、この機会に「仕事と生活の調和」「ワークライフバランス(WLB)」について、まとめておきましょう。いまさら?・・・って感じですか? そうイマサラなんです。「ワークライフバランス」については、肯定的な人も、否定的な人も、無関心な人もいますが、それらの人々の「ワークライフバランス」のイメージに、かなりバラつきがあるように思います。肯定的意見、否定的意見、無関心な意見を見ることがありますが、なんだか別の対象について話をしているように思えることもあります。
もっとも、ワークライフバランスは比較的新しいコトバで、日本語として、まだ統一的なイメージが確立していないのかも知れません。この状態は、なんだか不便なのでまとめておこうと思い立った次第です。
ワークライフバランスの定義については、コチラをどうぞ。
内閣府のホームページも、あわせて紹介しておきましょう。
仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章 - 「仕事と生活の調和」推進サイト - 内閣府男女共同参画局
- ワークライフバランスをカンタンにいうと?
- ワークライフバランスの反対は、ワークライフ「アンバランス」ではない?
- ワークライフバランスの対義語は、「ワークライフコンフリクト(WLC)」
- 仕事と生活の調和は、かならずしも「半々」というワケではない
- まとめ:仕事と生活を衝突・対立させない考え方
- おまけ:ワークアズライフ
ワークライフバランスをカンタンにいうと?
ワークライフバランスを、もう少しカンタンにまとめると、次のようになるでしょうか。
「仕事のやるべきこと、やらなければならないこと」と「仕事以外のやるべきこと、やらなければならないこと」の両方に取り組むことができている状態
仕事と生活の調和(ワークライフバランス)のカンタン定義
仕事であろうが、仕事以外であろうが、「やるべきこと、やらなければならないこと」に取り組むことができないなら、さまざまな支障が出てくるのは当然のコトです。「やるべきこと、やらなければならないこと」に取り組むことができる状態が「目指すべき状態」であるというのは、自明の理だと私は思います。
ワークライフバランスの反対は、ワークライフ「アンバランス」ではない?
ここで、今回のテーマです。
「ワークライフバランスの対義語(ワークライフバランスが実現していない状態)」は、なんと言い表すのでしょうか?
ワークライフ「アンバランス」でしょうか?
そういうコトバを使うこともあります。さらには、そういう状況を肯定的にとらえた意見もあるようです。
この本で提唱する「ワークライフアンバランス」とは、「人生には偏ってでも、ひとつのことにトコトンのめりこむ時期があっていい!」という著者の考えに基づいています。
ワークライフバランスの「バランス」というコトバは、「均衡」という意味です。しかし、玩具のヤジロベエのイメージから、「等分」や「同量」というイメージを伴っているように思います。結果として、どちらかに偏っている状態を「アンバランス」と考えて、このような解釈になっているのでしょう。
しかし、「ワークライフバランス」が実現できていない状態をあらわす、「アンバランス」ではない別のコトバがあります。
ワークライフバランスの対義語は、「ワークライフコンフリクト(WLC)」
内閣府のホームページで、「仕事と生活の調和(ワークライフバランス)」と書かれているコトからもわかるように、バランスとは「調和」の意をあらわしています。
「調和」の対義語は単純に「不調和」ですが、この状態を(衝突・対立)と解釈した語が、「ワークライフコンフリクト」です。
ご参考に、不調和の類語を引用しておきましょう。
ワークライフコンフリクトは、ワークライフバランスの対義語です。つぎのような意味になるでしょう。
「仕事のやるべきこと、やらなければならないこと」をやろうと思うと、「仕事以外のやるべきこと、やらなければならないこと」に取り組めない状態。または、「仕事以外のやるべきこと、やらなければならないこと」をやろうと思うと、「仕事のやるべきこと、やらなければならないこと」に取り組めない状態。つまり、「仕事」と「仕事以外のこと」が衝突・対立し、どちらか片方しかできない状態。
仕事と生活の衝突(ワークライフコンフリクト)のカンタン定義
仕事と生活の調和は、かならずしも「半々」というワケではない
ワークライフバランスは、かならずしも「仕事」と「生活」の比重(たとえば時間)をフィフティー・フィフティーにするという意味ではありません。玩具のヤジロベエがちょうど真ん中で均衡するのは、重心がちょうど真ん中になるよう調整してあるからです。
たとえば、「仕事上のやるべきこと・やりたいこと」の比重が大きく、「仕事以外のやるべきこと・やりたいこと」の比重が軽い場合は、仕事の方に大きく傾いて均衡します。
念の為もう一度書きますよ。大きく傾いた状態で「均衡」しているのです。
右や左に傾いていても「均衡している」のだとしたら、「均衡していない」状態ってどんな状態?・・・って、ご質問があったので、書いておきましょう。
「均衡していない」状態とは、たとえば次のような状態です。
図では、左右の重さが同じで「本来直立するように調整してあるヤジロベエ」が、ナニかの原因で傾いています。当然、傾いた状態では安定しません(静止しません)。フラフラと揺れ動くでしょう。これが「均衡していない状態」です。
「均衡していない」状態をイメージできるでしょうか? 「傾いている=均衡していない」ではありません。混同しやすいポイントだと思います。
まとめ:仕事と生活を衝突・対立させない考え方
仕事と生活のどちらか一方のために、もう片方を犠牲にしなければならない・・・というのは、ワークライフコンフリクトの状態です。ワークライフバランスとは、「仕事と生活を衝突・対立」させない考え方です。
「偏って、とことん仕事にのめりこんでいるが、生活でやるべきこと・やりたいことにも取り組めている(または、生活でやるべきこと・やりたいことがない)」「生活のためにやるべきこと・やりたいことばかりしているが、仕事上のやるべきこと・やりたいことがない(仕事をしなくてもよい)」というのなら、その状態はワークライフコンフリクトの状態ではありません。
「生活のために、やるべき仕事をほどほどにしてやらなかったり、仕事を途中で放り出したりしなければならない」というのは、ワークライフコンフリクトの状態です。
仕事と生活がどこで調和(均衡)するかは人それぞれです。育児や介護、あるいは自身が病気になったり家族の状況などにも左右されます。たとえば、長時間労働を前提とした働き方しか認めないとしたら、長時間労働でも仕事と生活が調和する人が、長時間労働でも仕事と生活が調和する期間だけしか働けないということになるでしょう。労働力人口がドンドン減り続ける日本で、そんな働き方で会社を維持できるんでしょうか?
おっと、すこし話題がそれました。今日はこれくらいにしたいと思います。
ワークライフバランスを考えるときに、ワークライフコンフリクトを考えると、よりイメージが鮮明になると思うのですが、いかがだったでしょうか?
おまけ:ワークアズライフ
落合陽一さんの「日本再興戦略」という本の中に、「ワークアズライフ」という考え方がでてきます。
面白い考え方なので、機会があれば取り上げてみたいと思っています。