働き方改革を進めようとするとき、たまぁ~に反対意見としてあげられるコトがあります。
日本という国は資源が少ないので、いままで「勤勉さ」により経済をささえて発展させてきた。働き方改革は、その日本人の美徳であり強みでもある「勤勉さ」を殺す(ないがしろにする)ものだ・・・という意見です。
どうも話がかみ合わないコトがおおいので、すこしまとめておきたいとおもいます。
そもそも「勤勉」とはなんなのか?
そもそもです。「勤勉」とはどういう意味なんでしょうか?
コトバンクによれば、「仕事や勉強などに、一生懸命に励むこと。また、そのさま。」が「勤勉」の意味です。
では、「一生懸命」とはどういう意味でしょうか?
おなじくコトバンクによれば、「命がけでことに当たること」という意味です。
歴史的には、「一所懸命」が起源で、鎌倉武士が「一所=自分の領地」を命をかけて守ることから生じた表現だということです。
結果として、「勤勉」とは「命がけで仕事などに取り組む」という意味になります。
「勤勉=長時間働く」という意味になるのか?
しかし不思議です。「命がけで取り組む」というのは、「死ぬ覚悟で」「死に物狂いで」取り組むということで、物事に対する「真剣さの度合い」を表すと考えられます。
私は「真剣に働くな」という働き方改革なんて聞いたことがありません(「真剣に働くな」という働き方改革をやっている会社をご存知の方は、ぜひ教えてほしいとおもいます)。
働き方改革の取り組みは、たとえば「健康や人生に支障がでるような長時間労働を見直して、効率よく働き、生産性をあげていきしょう」ということだと理解しています。結果、「効率よく働き、生産性をあげる」ため、「勤勉=真剣に、一生懸命」働かなければならないことは当然のことです。
どういうリクツで「長時間労働を見直す」が「勤勉でない」という解釈になってしまうのでしょうか。
時代はドンドン変わっている
たしかに、戦後の高度成長期では、「長時間労働」で経済を伸ばしてきたという側面があるのかもしれません。専業主婦が多く、長時間働ける体制が取れていた時期もあります。このとき日本人の「勤勉さ」は「長時間労働」というカタチで私達の生活を支えてきたのです。
しかし現代は違います。「長時間労働できる人」がドンドン減ってきています。あるいは、「長時間労働では生み出すことができない質」が求められています。あるいは、「人生のステージの中で、長時間働ける時期と働く時間に制限のある時期」が訪れるようになってきました。
もう、「長時間労働」が実質的に「勤勉」をあらわす時代ではないのでは?・・・と思います。
まとめ
小室淑恵さん(小室淑恵 - Wikipedia)は、長時間労働は「勝つための手段」ではなく、いま「負けている要因」だ・・・とまで言っています。
「勤勉」は「勤勉」、「長時間労働」は「長時間労働」、それぞれ別の話です。安易に混同しないようにして考える必要があると思います。
いかがですか?